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東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)211号 判決

原告

戸田工業株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和55年審判第1231号事件について昭和58年7月29日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和51年5月9日、名称を「コバルト変成針状晶磁性酸化鉄粒子粉末の製造法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和51年特許願第52986号)をしたが、昭和54年11月20日拒絶査定があつたので、昭和55年1月16日審判を請求し、昭和55年審判第1231号事件として審理された結果、昭和58年7月29日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年9月29日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

(1)  第1鉄塩とアルカリとの湿式反応により針状晶含水酸化第2鉄粒子を生成させる工程において、針状晶含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に、該反応母液中の針状晶含水酸化第2鉄に対し、(PO3)6に換算して0.1~15Wt%のリン酸塩を添加、混合し、次いで水洗、濾過、乾燥して得られる針状晶含水酸化第2鉄粒子を350度C以上600度C以下の温度で還元して針状晶マグネタイト粒子(FeOx・Fe2O3但し0<x<1)とした後、この針状晶マグネタイト粒子を前駆体として用い、この前駆体をコバルト塩水溶液、または水酸化コバルトを含む水中に分散させ、該分散液のOH基濃度が0.05~3.0mol/lとなるように、苛性ソーダ等のアルカリを加え、温度50~100度Cを保持し、非酸化性雰囲気中で処理することによつて、コバルトと前駆体中の第1鉄の総和が前駆体中の第2鉄に対して50原子%以下、但し、コバルトが0.1原子%以上である組成を有するコバルトが被着しているコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を生成させ、該生成物を常法により水洗、濾過、乾燥してコバルトが被着しているコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を得ることを特徴とするコバルト変成針状晶磁性酸化鉄粒子粉末の製造法。

(2)  第1鉄塩とアルカリとの湿式反応により針状晶含水酸化第2鉄粒子を生成させる工程において、針状晶含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に、該反応母液中の針状晶含水酸化第2鉄に対し、(PO3)6に換算して0.1~15Wt%のリン酸塩を添加、混合し、次いで水洗、濾過、乾燥して得られる針状晶含水酸化第2鉄粒子を350度C以上600度C以下の温度で還元して針状晶マグネタイト粒子(FeOx・Fe2O3但し0<x<1)とした後、この針状晶マグネタイト粒子を前駆体として用い、この前駆体をコバルト塩水溶液、または水酸化コバルトを含む水中に分散させ、該分散液のOH基濃度が0.05~3.0mol/lとなるように、苛性ソーダ等のアルカリを加え、温度50~100度Cを保持し、非酸化性雰囲気中で処理することによつて、コバルトと前駆体中の第1鉄の総和が前駆体中の第2鉄に対して50原子%以下、但し、コバルトが0.1原子%以上である組成を有するコバルトが被着しているコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を生成させ、該生成物を常法により水洗、濾過、乾燥した後、酸化してコバルトが被着しているコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子を得ることを特徴とするコバルト変成針状晶磁性酸化鉄粒子粉末の製造法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、昭和51年8月24日付手続補正書により補正された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲第1項ないし第8項の記載から把握される前項記載のとおりのものと認める。

(2)  ところで、米国特許第3,652,334号明細書(以下「第1引用例」という。)には、(a) FeSO4をアルカリでFe(OH)2とし、これを空気酸化して針状晶α-FeOOH(以下「含水酸化第2鉄」という。)を製造すること(第3欄下から第3行ないし第4欄第1行)、(b) 含水酸化第2鉄の水分散液を作り、この分散液にリン酸塩を添加して、含水酸化第2鉄粒子を該物資で被覆し、被覆された含水酸化第2鉄粒子に転化させること(第5欄第36行ないし第6欄第9行)、(c) 被覆するリン酸塩は含水酸化第2鉄に対して0.1~6重量%であること(第3欄第1行ないし第6行)、(d) リン酸塩は、含水酸化第2鉄のいろいろな処理段階で添加できるが、結晶内部に混入すると望ましくないので、含水酸第2鉄粒子の沈澱中及び結晶の成長中に存在してはならず、含水酸化第2鉄の脱水段階では被覆効果が弱まること(第3欄第11行ないし第20行)、及び(e) 含水酸化第2鉄の還元温度は470℃以下であること(第3欄第33行ないし第42行)が記載されている。

また、特開昭49―74399号公開特許公報(以下「第2引用例」という。)には、針状晶マグネタイト粒子粉末(FePx・Fe2O3但し0<x<1)を、該粒子中の第2鉄に対し、第1鉄とコバルトの総和で50原子%以下となる割合、ただし少くとも0.5原子%以上のコバルトを含むように、コバルト塩溶液又は水酸化コバルトを含む水中に分散させ、該分散液のOH濃度が0.05~3.0mol/lとなるように苛性ソーダ等のアルカリを加え、温度を50~100度Cに保持し、非酸化性雰囲気中で処理することによつて、針状晶マグネタイト粒子をコバルトで変成させることを特徴とする針状晶磁性粉末の製造法及び前記コバルトで変成された針状晶マグネタイト粒子を常法により水洗、濾過、乾燥後300度C以下の温度で酸化してコバルトで変成された針状晶γ―Fe2O3粒子粉末とすることを特徴とする針状晶磁性粉末の製造法なる発明が記載されている。

(3)  まず、本願発明と第1引用例記載の発明とを比較すると、両者は、本願発明がリン酸塩の添加時期を含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に添加すると特定した点及びリン酸塩で処理された含水酸化第2鉄粒子をコバルト変成されたマグネタイト粒子に転化する工程と得られた変成されたマグネタイト粒子を酸化してコバルト変成マグヘマイト粒子を製造する工程を有している点で第1引用例記載の発明と相違するが、他の点では共通しているものと認められる。

そこで、これらの相違点を検討する。

(1) リン酸の添加時期

第1引用例の前記摘示事項(d)は、換言すれば、含水酸化第2鉄が沈澱して結晶の成長が完了した後から、含水酸化第2鉄の脱水段階の前までの間はリン酸塩を添加してもよい時期であることを示唆されているものと解される。そして、両発明のリン酸塩を添加する目的が含水酸化第2鉄を高温で還元しても分散性の優れた含水酸化第2鉄粒子を得ることにおいて軌を一にしているものと認められる。してみると、本願発明のリン酸塩の添加時期は、第1引用例において示唆されている範囲内で、同じ目的を達成するために決定した程度のものであるから、当業者が実験により適宜決定できるものと認められるし、含水酸化第2鉄粒子の分散性についての効果も予想できるものと認められる。

そして、請求人(原告)は、リン酸塩処理した含水酸化第2鉄粒子と未処理の含水酸化第2鉄粒子の水洗効果を比較して、本願発明の水洗効率が高い旨主張しているが、これは、粒子の分散性が大きければ高くなるのは技術常識であるから、予想できる程度のものと認められる。

(2) リン酸塩処理した含水酸化第2鉄からコバルト変成マグネタイト粒子及びマグヘマイト粒子への工程

含水酸化第2鉄粒子を還元するとマグネタイト粒子が得られ、その後、空気酸化するとマグヘマイト粒子が得られることは周知であるので、第1引用例におけるリン酸塩処理した含水酸化第2鉄粒子を470度C以下で還元する旨の記載は、リン酸塩処理したマグネタイト粒子を製造すると記載されたものといえる。そして、マグネタイトであれ、マグヘマイトであれ、鉄酸化物磁性粉末の磁性を改良するためにコバルトで変成することが周知であるので、リン酸塩処理したマグネタイト粒子をコバルト変成する手段、及びこれを酸化してコバルト変成マグヘマイト粒子とする手段として、第2引用例に記載された方法(第2引用例におけるγ-Fe2O3はマグヘマイトと同義語である。)を適用することは容易に想到しうる程度のものと認められる。

(4)  したがつて、本願発明は、第1引用例及び第2引用例記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

第1引用例及び第2引用例には審決認定のとおりの記載があることは認めるが、審決は、本願発明と第1引用例記載の発明との相違点(1)について判断するに当たり、本願発明及び第1引用例記載の発明の技術内容を誤認し、本願発明の奏する優れた作用効果を看過した結果、本願発明は第1引用例及び第2引用例記載の発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたものと誤つて判断したものであり、違法であるから取消されるべきである。

(1)  本願発明と第1引用例記載の発明とは、本願発明のコバルト変成処理を除き、第1鉄塩から磁性酸化鉄粒子(針状晶マグネタイト粒子又は針状晶マグヘマイト粒子)を製造する上においてリン酸塩を添加するという点で共通するが、それぞれにおけるリン酸塩の添加時期が異なる。すなわち、本願発明においては、リン酸塩を含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に、該反応母液の水洗前に添加するのに対し、第1引用例記載の発明におけるリン酸塩の添加時期は該反応母液の水洗後である。

なるほど、第1引用例には、(a)リン酸塩を含む「顔料被覆形成物質は含水酸化第2鉄のいろいろな処理段階で添加してもよい。」(b)「しかしながら、該物質は、結晶の内部に混入すると望ましくないので」含水酸化第2鉄粒子の沈澱中及び結晶の成長中には存在してはならないことが重要である、(c)「更に、顔料被覆を含水酸化第2鉄の脱水段階すなわち赤色α-Fe2O3の段階で形成すると効果は減少する。」(第3欄第11行ないし第20行)との記載がある。

しかしながら、まず、(a)の「いろいろな処理段階」とは、いかなる技術的意味を有するかについて検討すると、第1引用例には、リン酸塩の添加時期が本願発明のように含水酸化第2鉄粒子の生成反応完了後であつて該粒子の濾過水洗前であるとする記載は全くない。第1引用例に具体的に開示されているリン酸塩の添加時期は、第2欄第49行ないし第55行、第3欄第73行ないし第4欄第3行、第5欄第36行ないし第6欄第9行等に記載されているとおり、いずれも生成含水酸化第2鉄粒子を濾過水洗し、次いで該粒子の水分散液を調整した後である。また、(b)は、生成する含水酸化第2鉄粒子中へリン酸塩が混入することを避け、可能な限り純粋な含水酸化第2鉄粒子を生成するためであつて、当時の当業界における技術常識を述べたにすぎず、反応完了後の反応母液中にリン酸塩を添加することまでを含めて反応母液中にリン酸塩を添加することを意図したうえでの記載ではない。

そもそも、本願発明の特許出願当時における磁気記録用媒体材料の技術分野では、含水酸化第2鉄(α-FeOOH)を出発材料としてこれに何らかの処理を施すに当たつて、対象とする含水酸化第2鉄がFeSO4をアルカリでFe(OH)2とし、これを空気酸化して生成したものであるときには、当該含水酸化第2鉄には多量の可溶性不純物(副生塩)が付着しているので、何らかの処理を施すに先立つてあらかじめ水洗によつて可溶性不純物を除去しておくことが技術常識とされていた。このことは、第1引用例に、生成α-FeOOHは可溶性成分を除去するために水洗される旨(第1欄第23行ないし第26行)記載されていることから明らかであり、また、特開昭50―36354号公開特許公報(酸化鉄磁性粉末の製造法において、針状のゲータイト((含水酸化第2鉄))にコバルト及び銅を固溶させるのに、針状ゲータイトの生成反応完了後ハロゲン化コバルト及び銅塩の添加前に、当該針状ゲータイトをよく水洗する)、特開昭50―39696号公開特許公報(針状のゲータイトにハロゲン化コバルト及び鉛塩を添加処理する前に、予め生成針状ゲータイトをよく水洗する)等の先行技術文献にも開示されているところである。

したがつて、当業者が第1引用例の前記(a)の「いろいろの処理段階」を本願発明の特許出願当時の技術水準に照らして解釈するとすれば、第1引用例に具体的に開示されている添加時期のみがこれに当たるものと解すると考えられるのであつて、本願発明の添加時期がこれに含まれるものと解するとは容易に考えられない。

(2)  本願発明において、リン酸塩は含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に添加するものであり、この添加時期にはいまだ水洗は行われておらず、含水酸化第2鉄粒子には多量の可溶性不純物が付着していることはもちろん粒子自体が多量の可溶性不純物と共存している状態にある。

前記(1)の本願発明の特許出願当時の技術常識からすれば、当業者にとつて、かかる状態にある含水酸化第2鉄粒子にリン酸塩を添加してこれを付着させようという試みが適宜行えるものでないことは明白であり、また、このような状態下で該粒子の回りに少量のリン酸塩被覆を形成することが可能であることは右技術常識からすれば意外性のあることである。

ところで、本願発明によつて製造される磁性酸化鉄粒子は、これをビヒクル中に分散し、次いでテープ又はデイスク状支持体に塗布することにより、各種の磁気テープ、磁気デイスク等のいわゆる磁気記録媒体の製造に供されるものであるところ、本願発明の特許出願当時の当該技術分野において、右ビヒクル中に分散させる磁性粉粒子そのものが個々にバラバラの状態になつていることが磁気記録媒体の磁気特性向上を図る上において肝要であることはよく知られていたことであり、更に、ビヒクル中に分散させる磁性粉粒子が個々にバラバラの状態になくて部分的にかなり強固にからみ合い結合し合つた状態になる原因が、当該磁性粉粒子の製造における加熱処理段階、特に加熱還元段階にあることもよく知られていたことである。

本願発明は、これらの周知の事実の外に、磁性粉粒子製造の中間生成物である含水酸化第2鉄粒子は、その生成時反応母液中においてすでに粒子相互が相当の力をもつてからみ合つており、個々にバラバラの状態になつていないことから、これを解決することによつて磁気記録媒体の磁気特性を向上させることを技術的課題とし、これを解決するための技術的手段として、リン酸塩の添加時期を前述のように特定したものである。

そして、本願発明は、リン酸塩の添加時期を右のように特定することにより、① 含水酸化第2鉄粒子そのものが加熱還元前すでに1個1個バラバラの独立分散状態になつている。② このように一旦バラバラにほぐれた含水酸化第2鉄粒子は、続く加熱還元段階においても従来認められたような粒子相互の焼結などがなく、もとの針状粒子形骸を維持継承したままであるという顕著な作用効果を奏するものである。

これに対し、第1引用例には、生成含水酸化第2鉄粒子を水洗した後にリン酸塩を添加する手段を採用した場合、含水酸化第2鉄粒子をマグヘマイト粒子に転換する際の加熱還元段階で粒子相互の焼結防止を図ることができる旨(第1欄第37行ないし第47行、第2欄第44行ないし第48行、第3欄第33行ないし第42行等参照)記載されているから、第1引用例記載の発明は前記②と同一の作用効果を奏することができるが、該含水酸化第2鉄粒子については生成段階で本願発明のような個々にバラバラに独立して存在させる処理がなされていないので、続く加熱還元段階の前にすでに粒子相互が部分的にかなり強固にからみ合い、結合し合つた状態にあるから、第1引用例記載の発明は前記①と同一の作用効果を達成することができない。

本願発明が第1引用例記載の発明に比して前記①の点において顕著な作用効果を奏するものであることは、本願発明者である堀石七生作成の比較実験成績書(甲第7号証の1ないし3)及び追加実験成績書(甲第10号証)から明らかである。

すなわち、本願発明における含水酸化第2鉄粒子が個々独立分散性において、第1引用例記載の発明によつて得られるものよりも優れていることは、(イ)前記比較実験成績書(甲第7号証の1)と追加実験成績書(甲第10号証)に添付された写真の対比(本願発明の磁性酸化鉄粒子には比較的多くの整然とした局部的配向が認められ、これらの粒子が個々にバラバラの状態にあることが示されている。)、(ロ) 右各成績書添付第1表の磁気塗膜特性欄の特性値の対比、特に粒子の個々独立分散性を最も大きく反映する「角型」の対比(本願発明の角型比は0.88であるのに対し、第1引用例記載の発明の角型比は0.76であつて、格段の差異が認められる。)、更に、(ハ) マグネタイト粒子及びコバルト被着マグネタイト粒子の保磁力も本願発明の方が若干高い(データ上格別の差はないようにみえるのは、保磁力が磁性酸化鉄粒子そのものの形状異方性及び結晶異方性に大きく支配される特性値であつて、リン酸塩処理によつて保磁力に大きな変化が現れることはないからである。)こと等から明らかである。

(3)  審決は、本願発明と第1引用例記載の発明との相違点(1)リン酸塩の添加時期について判断するに当たり、「両発明のリン酸塩を添加する目的が含水酸化第2鉄を高温で還元しても分散性の優れた含水酸化第2鉄を得ることにおいて軌を一にしている。」と認定しているが、右認定は、含水酸化第2鉄を還元して得られるものがいわゆるマグネタイト(このマグネタイトを更に酸化するとマグヘマイトになる。)であるにもかかわらず、同じく含水酸化第2鉄であるとしている点で誤りであるのみならず、仮に右が誤記であるとしても、本願発明が右目的に加え、前記(2)のとおり含水酸第2鉄粒子そのものを個々に独立分散させるという第1引用例記載の発明が意図していなかつた目的(技術的課題)を併せ有することを看過したものであり、その結果、審決は、本願発明がこれを解決する新規な技術的手段として、水洗前の含水酸化第2鉄生成反応母液中にリン酸塩を添加するという構成を採用したものであり、これによつて前記(2)のとおりの顕著な作用効果を奏するものであることを看過し、「含水酸化第2鉄粒子の分散性についての効果も予想できるものと認められる。」と誤つて判断したものである。

(4)(1) 被告は、特開昭48―83100号公開特許公報(以下「先行出願公報」という。)に記載された技術(以下「先行出願技術」という。)においては、含水酸化第2鉄粒子の表面を被覆する無機物質の添加時期は、含水酸化第2鉄の反応母液から分離水洗後にとどまらず、反応母液中に添加することを含むものであつて、これが本願発明の特許出願当時の技術水準である旨主張する。

しかしながら、先行出願公報は、水酸化鉄(Ⅱ)を酸化して磁性材料の前駆体たるオキシ水酸化鉄(Ⅲ)(含水酸化第2鉄)を生成する際にシリカ含有オキシ水酸化鉄(Ⅲ)を得る改良方法を記載しているが、シリカの添加時期は、水酸化鉄(Ⅱ)からオキシ水酸化鉄(Ⅲ)を生成する反応段階であることを開示しているにすぎず、オキシ水酸化鉄(Ⅲ)が100%生成し終わつた段階であることは開示していない。このことは、先行出願公報の特許請求の範囲に、「水酸化鉄(Ⅱ)懸濁液の酸化が(中略)実施され、前記懸濁液が、SiO2をゾルまたは可溶性塩の形で含有し」と記載されていること及び先行出願公報の第2頁左下欄第13行ないし第18行、同頁右下欄第4行ないし第6行、第3頁左上欄第18行ないし第20行、同頁右上欄第17行ないし第20行の発明の詳細な説明中の記載ならびに各実施例の記載から明らかである。

また、先行出願技術におけるオキシ水酸化鉄(Ⅲ)は、一部分の水酸化鉄(Ⅱ)を酸化してある程度の大きさにオキシ水酸化鉄(Ⅲ)結晶粒子を成長させた後に、シリカゾル又はシリカの可溶性塩を添加し、残存水酸化鉄(Ⅱ)を酸化することにより右オキシ水酸化鉄(Ⅲ)結晶粒子が更に成長する間に、右シリカが当該オキシ水酸化鉄(Ⅲ)結晶粒子中に取り込まれるようにして形成されるものであるのに対し、第1引用例記載の発明における含水酸化第2鉄は、結晶粒子に可及的に不純物が含まれないように結晶成長させられてなるものであつて、結晶粒子構造が全く異なるものであり、この限りにおいて技術的に相容れないものである。

したがつて、本願発明及び第1引用例記載の発明の如き可及的に純粋な含水酸化第2鉄結晶粒子を磁性材料の前駆体とする技術に関する限りは、同結晶粒子の高温加熱焼結防止処理用添加剤を先行出願技術のように同結晶粒子の成長段階に添加するようなことは従来からなかつたものである。

更に、先行出願公報(昭和48年11月6日公開)には、従来技術として、α-FeO(OH)をリンの酸素酸又はそれらの塩で処理して、針状α-FeO(OH)の後続工程での焼結に対する安定性を向上させることが提案されている旨記載され、ドイツ連邦共和国特許出願公告第1252646号明細書(甲第11号証。1967年10月26日公告)が引用されているところからみて、その従来技術は、オキシ水酸化鉄(Ⅲ)の生成後これを先ず反応溶液から分離してリン酸素酸、ケイ酸アルカリ等で安定化処理することであり、第1引用例(1972年3月28日発行)記載の発明も、含水酸化第2鉄(オキシ水酸化鉄(Ⅲ))粒子の後続工程における高温加熱時における焼結防止という同じ目的のもとにリン酸塩を添加使用するものであるから、これを先行出願技術の従来技術の範疇に属するものということができ、したがつて、第1引用例には、前記(1)のとおりいろいろの段階でリン酸塩を添加しうると記載されていても、その添加時期は、実際には含水酸化第2鉄を生成しこれを反応溶液から分離した後、すなわち生成含水酸化第2鉄を濾過水洗した後であると解するのが妥当である。

(2) 被告は、本願発明の奏する前記(2)①の作用効果と同一の作用効果は、第1引用例記載の発明もこれを達成できる旨主張するが、①の作用効果とは、含水酸化第2鉄粒子の加熱還元前に該粒子そのものをすでに1個1個バラバラの独立分散状態にすることであつて、該粒子を加熱還元してマグネタイト粒子とし、あるいは更に酸化させてマグヘマイト粒子とした後の該粒子の分散状態をいうのではない。被告の右主張は、原告の主張する①と②の作用効果を混同しており、誤りである。

また、被告は、原告の援用する比較実験成績書(甲第7号証の1、2)に記載された実験の処理条件に誤りがある旨主張するが、被告主張(イ)のリン酸塩添加量は、本願発明、第1引用例記載の発明の実験共に11.62gであり、後者について5.81gと記載したのは誤記であり、一部訂正書(甲第7号証の2、3)で訂正した。(ロ)の被覆された含水酸化第2鉄粒子の収量の差については、重量百分率で表すと約4%の僅少な差にすぎず、この差は、第1引用例記載の発明の実験では、第1引用例の実施例1に基づき水洗前とリン酸塩添加後の2回にわたり濾過を行つたことによるものであつて、実験操作上異なつた処理条件を適用したために生じたものではない。

また、被告は、追加実験成績書(甲第10号証)に記載された第1引用例記載の発明の追加実験では、コバルト変成率が本願発明のそれと異なつているので塗膜の磁気特性については比較することはできない旨主張するが、右追加実験におけるコバルト変成率2.5原子%と本願発明のそれが2.6原子%であることの差は、通常のコバルト変成処理においてバツチ毎に認められる許容範囲内のものであり、コバルト変成処理により所定の磁気的性質の向上を図る上で妨げとはならない。

更に、被告は、保磁力についての原告の主張は明細書の記載と矛盾し、保磁力に関する実験結果からみて、本願発明が原告主張の①の作用効果において格別優れているものとは認められない旨主張する。

しかしながら、被告が援用する明細書の記載及び第3図は、含水酸化第2鉄粒子が高温加熱還元される場合に当初の針状晶の形骸粒子の大きさを越えて各粒子が変形し、粒子相互の焼結を引き起すほどに粒子が成長すると保磁力が格段に低下するということであつて、これは本願発明の奏する②の作用効果に関するものであり、原告の主張とは何ら矛盾するものではない。

第3被告の答弁及び主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の審決の取消事由の主張は争う。

審決の判断は正当であつて、審決には原告の主張する違法はない。

(1)  第1引用例には、原告主張のとおりリン酸塩は、含水酸化第2鉄のいろいろな処理段階で添加できる旨(前記第2、4(1)の(a)参照)記載されているところ、この記載は処理段階、すなわちリン酸塩を添加できる時期が複数あることを意味するものであり、その時期として具体的には、(イ) 含水酸化第2鉄が反応母液中にある段階、(ロ) 含水酸化第2鉄が濾別された段階、(ハ) 濾別された含水酸化第2鉄の水洗が完了した段階、(ニ) 水洗された含水酸化第2鉄を乾燥する段階の4段階が想定できる。したがつて、原告が主張するように第1引用例にはリン酸塩の添加時期が含水酸化第2鉄の水洗後のもののみしか開示されていないとするのは不自然である。

また、第1引用例には、原告主張のとおり前記記載に続いて、リン酸塩は結晶内部に混入すると望ましくないので、含水酸化第2鉄粒子の沈澱中及び結晶の成長中に存在してはならない旨(前同(b)参照)記載されており、結晶は反応母液中で成長するものであるから、この記載はリン酸塩を反応母液中に添加することを意図した上での記載であることは明らかであり、したがつて、添加が不適当と記載されている時期を除き、例えば、前記(イ)の反応完了後であつてもよいことを示すものである。

また、原告は、特開昭50―36354号公開特許公報及び特開昭50―39696号公開特許公報を援用し、本願発明の特許出願当時の技術水準は、ゲータイト(含水酸化第2鉄)を水洗後、被覆すべき物質を添加するものである旨主張する。

しかしながら、先行出願公報には、含水酸化第2鉄粒子をマグネタイト又はマグヘマイト粒子に転化させるときに焼結を防止するために、含水酸化第2鉄粒子上にシリカを沈着させる方法において、シリカ源である水ガラスを含水酸化第2鉄の反応母液中に添加することが記載されている。すなわち、先行出願技術においては、含水酸化第2鉄粒子の表面を何らかの無機物質で被覆する場合、この無機物質の添加時期は含水酸化第2鉄の反応母液からの分離水洗後にとどまらず、右物質を反応母液中に添加することをも含むものであつて、これが本願発明の特許出願当時の技術水準である。

もつとも、先行出願技術と第1引用例記載の発明においては、含水酸化第2鉄のそれぞれの結晶粒子構造が被覆すべき物質を結晶粒子中に取り入れているか否かで異なるが、両者は含水酸化第2鉄粒子の分散性の向上を目的とする該粒子の表面処理技術である点において共通するものである。

(2)  原告は、本願発明の奏する①の作用効果、すなわち含水酸化第2鉄粒子そのものが加熱還元前にすでに1個1個バラバラの独立分散状態になつているという効果は第1引用例記載の発明が達成することのできない効果である旨主張する。

しかしながら、含水酸化第2鉄粒子は加熱還元工程を経ると、それが焼結することがあつても更に分散することはなく、本願発明でも第1引用例記載の発明でも、リン酸塩の被覆により加熱還元工程で焼結が抑制されているものであるから、両発明の該粒子の分散性は加熱還元後のマグネタイト粒子又は更に酸化した後のマグヘマイト粒子の分散性に反映されているものと考えられるから、第1引用例記載の発明も前記①と同一の作用効果を奏することができるものである。

また、本願発明においてリン酸塩の添加時期を選択したことによる効果は、両発明についてリン酸塩の添加時期以外の処理条件を一致させて実験を行つた結果によつてはじめて主張できるものであるが、原告援用の比較実験成績書(甲第7号証の1、2)に記載された実験の処理条件は、該添加時期以外にも、(イ) 両発明の実験とも、反応母液を40リットルずつ採取しながら、リン酸塩(ヘキサメタリン酸ソーダ)の添加量が第1引用例記載の発明の実験は5.81gであつて、本願発明の実験の11.62gの半量にすぎないという相違があるのみならず、(ロ) 仮に前記(イ)の5.81gが11.62gの誤記であるとしても、同量であるべき被覆された含水酸化第2鉄粒子の収量が、本願発明の実験では1716g、第1引用例記載の発明の実験では1644gであつて、その生成量に72gという大きな差があることからして、他に実験操作上、比較実験成績書に記載されていない処理条件に相違があるものと考えられる。

また、追加実験成績書(甲第10号証)に記載された第1引用例記載の発明の追加実験では、コバルト被着マグネタイト粒子のコバルト変成率(2.5原子%)が前記比較実験成績書に記載された本願発明のそれ(2.6原子%)と異なつており、コバルトの被着量は磁気特性に大きく影響を与えることは一般に知られているから、両成績書を資料にして両発明のコバルト被着マグネタイト粒子及び塗膜の磁気特性について比較することはできない。また、本願発明の明細書に記載された実施例17ないし23では、コバルト変成率を小数点以下2桁まで分析しており、実施例17ないし19の群と20、21の群では、各群におけるそれぞれのコバルト添加量は等しく、他方、水酸化ナトリウムの添加量や反応温度などの反応条件が異なつていても、コバルト変成率は、小数点以下2桁で四捨五入すると、小数点以下1桁では一致している。このように本願発明の実施例においてはコバルト変成率の数値に差が出ていないものであるのに、第1引用例記載の発明に関する追加実験は、前記比較実験報告書に記載された同発明に関する実験と同一の反応条件で行つているにもかかわらず、コバルト変成率の実験結果が前者は2.5原子%、後者は2.6原子%と、小数点以下1桁で異なるというばらつきがあるから、この追加実験結果は総体的に信用できない。

しかも、右各実験成績書に記載された実験結果を検討しても、(イ) 写真の対比により、両発明の個々の粒子の独立分散性に格別差異があるといえないものであり、(ロ) 角型比については、磁気塗料中の磁性粉末の分散性は、塗料作製後にも変化を生じるものであるから、この実験結果をもつて、マグネタイト粒子又はマグヘマイト粒子そのものの分散性を直接に評価することはできない。更に、(ハ) γ―マグヘマイト粒子の保磁力からみると、本願発明は、第1引用例記載の発明より独立分散性において格別優れているものとは認められない。すなわち、保磁力は磁性酸化鉄粒子の形状異方性及び結晶異方性に大きく支配される特性値であるから、粒子が凝集したり、焼結してその形状が変化すれば保磁力は低下するものと考えられる(このことは、本願発明の明細書第16頁第1行ないし第18頁第4行及び第3図に記載されており、したがつて、リン酸塩処理によつて保磁力に大きな変化が現れることはないということは、明細書の右記載と矛盾するものである。)。保磁力に格別の差がないということは、本願発明が原告主張の独立分散性において格別優れていないことを示すものというべきである。

(3)  審決は、原告主張の相違点(1)について判断するに当たり、「両発明のリン酸塩を添加する目的が含水酸化第2鉄を高温で還元しても分散性の優れた含水酸化第2鉄粒子を得ることにおいて軌を一にしている。」と認定した。右の「含水酸化第2鉄粒子」は、原告主張のとおり、「マグネタイト粒子」の誤記であることは認めるが、第1引用例には含水酸化第2鉄粒子そのものを個々に独立分散させることが記載されていることは、前記(2)において主張したとおりであるから、審決の右認定に誤りはなく、また、本願発明の奏する独立分散性の効果が格別のものといえないことも前記(2)において主張したとおりであるから、審決が「含水酸化第2鉄粒子の分酸性についての効果も予想できるものと認められる。」としたことに誤りはない。

第4証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

(1)  成立に争いのない甲第14号証(本願発明の明細書)によれば、本願発明は、磁気記録用媒体材料として使用される、保磁力が高く、その分布の広がりが小さく、残留磁束密度が高く、かつ、磁気特性の経時変化、加圧及び温度に対する安定性を有し、更に、ビヒクル中での分散性、塗膜中での配向性及び充填性が優れたコバルトが被着しているコバルト変成針状晶マグネタイト粒子粉末及びコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子粉末を製造する方法を提供することを目的とするものであること(第5頁第4行ないし第14行)、第1鉄塩とアルカリとの湿式反応により含水酸化第2鉄粒子を生成させ、これを水洗、濾過、乾燥し、次いで還元した後、コバルト被着処理をしてコバルト変成針状晶マグネタイト粒子粉末を製造し、又は該マグネタイト粒子を酸化してコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子粉末を製造する場合において、前記目的を達成するためには、前駆体として使用する針状晶マグネタイト粒子を個々バラバラに独立分散している状態、すなわち粒子相互にからみ合いがない状態にすることが重要な技術的課題であること(第15頁第3行ないし第13行)、本願発明は、① 含水酸化第2鉄粒子は前記湿式反応の反応母液中ですでに粒子相互が相当の力をもつてからみ合つており、このものは常法による各種の分散処理を施しても粒子を1個1個バラバラの状態にすることは困難であるが、前記湿式反応の過程において含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加し攪拌混合すると、含水酸化第2鉄粒子相互のからみ合いをほぐし、1個1個バラバラの状態にすることが可能であるという知見、及び② この処理によつて1個1個バラバラの状態にした含水酸化第2鉄粒子は、リン酸塩がリン化合物として残存し含有されるため、その後の還元の際高温で還元しても粒子成長が抑えられて粒子形状の変形がなく、また、粒子相互の焼結が起らないという知見(第18頁第11行ないし第20頁第2行)に基づいて、「含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に、該反応母液中の含水酸化第2鉄粒子に対し、(PO3)6に換算して0.1~15Wt%のリン酸塩を添加混合」することを必須の構成要件としたものであることが認められる。

したがつて、本願発明は、第1鉄塩とアルカリとの湿式反応により含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加し攪拌混合することによつて、含水酸化第2鉄粒子の生成過程ですでに生じている粒子相互のからみ合いをほぐしてバラバラの状態となし、また、このバラバラの状態にした含水酸化第2鉄粒子が加熱還元時に粒子形状が変形したり粒子相互が焼結するのを防止し、もつて優れた磁気特性を有する磁気材料を得るという技術的思想に基づくものである。

(2)  ところで、成立に争いのない甲第3号証によれば、第1引用例記載の発明は、磁気記録媒体用磁化可能材料として特に有用であるマグヘマイト粒子及びその製造方法に関するものであつて、具体的には、含水酸化第2鉄粒子の水分散液を形成し、リン及び硼素のオキシ酸及びその塩からなる群から選択される少なくとも一種の耐加水分解性の水可溶無機物質を前記水分散液に導入して、前記含水酸化第2鉄粒子を前記無機物質で実質的に被覆し、次いで被覆した含水酸化第2鉄粒子を残留液から分離し、γ-Fe2O3(針状晶マグヘマイト粒子)に転換する方法であり(第1欄第70行ないし第2欄第2行、第2欄第6行ないし第12行、同欄第48行ないし第55行)、第1引用例には、第1鉄塩とアルカリとを湿式反応させ形成させた含水酸化第2鉄粒子を洗浄し、乾燥し、次いで還元、更に酸化して針状晶マグヘマイト粒子を製造する場合、還元温度を上昇させることにより良好な形状を具備し、かつ欠陥の少ない磁化可能な針状晶マグヘマイトの結晶構造が得られるが、還元温度を約400度C又はそれ以上にすると、針状粒子の焼成及び該粒子相互の密着が伴い、この粒子相互の密着は、この種の材料を用いて製造した記録媒体の磁気及び電気音響特性などに悪影響をもたらすこと(第1欄第22行ないし第45行)、そして、含水酸化第2鉄粒子を前記無機物質で実質的に被覆しておくことにより、還元を望ましい高温まで上昇させて実施することができ、また、前記の悪影響を改善することができる(第3欄第33行ないし第42行)旨記載されているが、前記無機物質がそれ以外の目的のために用いられることについては格別の記載は存しないことが認められる。

したがつて、第1引用例記載の発明は、含水酸化第2鉄粒子を加熱還元する際、望ましい高温で還元すると、その針状粒子が相互に密着し悪影響をもたらすので、含水酸化第2鉄粒子を前記無機物質で被覆しておくことにより、加熱還元時の密着を防止するという技術的思想に基づくものである。

(3)  そこで、まず、本願発明と第1引用例記載の発明におけるリン酸塩の添加目的について対比検討すると、前記(1)及び(2)において述べたところから明らかなように、両発明は、リン酸塩を添加する目的が、第1鉄塩とアルカリとを湿式反応させて生成させた含水酸化第2鉄粒子を高温で加熱還元してマグネタイト粒子に転換する際における粒子相互の焼結、密着の防止を目的とする点で共通するものである。しかしながら、本願発明は、右湿式反応における含水酸化第2鉄粒子の生成過程ですでに生じている粒子相互のからみ合いをほぐし1個1個バラバラの状態にすることをも目的として、リン酸塩を、含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中にその水洗前に添加するという特定の時期に添加するものであるのに対し、第1引用例にはリン酸塩の添加がかかる目的をもつものであることについては何ら記載がない。すなわち、本願発明は、右湿式反応の過程ですでに生じている含水酸化第2鉄粒子相互のからみ合いをほぐし1個1個バラバラの状態にすること、及びこのバラバラの状態の含水酸化第2鉄粒子相互が高温での加熱還元によつて焼結、密着するのを防止することを目的としてリン酸塩を添加するのに対し、第1引用例記載の発明は、右湿式反応の過程ですでに粒子相互がからみ合つている含水酸化第2鉄粒子が高温での加熱還元によつて焼結、密着するのを防止することのみを目的としてリン酸塩を添加するものであるから、両発明はリン酸塩を添加する目的が同じであるということはできない。

そして、リン酸塩の添加時期については、本願発明は、前述のとおり、特定の時期、すなわち含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了している反応母液中に該反応母液の水洗前にリン酸塩を添加するものである。これに対し、第1引用例には、審決認定のとおり、リン酸塩は、含水酸化第2鉄のいろいろな処理段階で添加できるが、結晶内部に混入すると望ましくないので、含水酸化第2鉄の沈澱中及び結晶の成長中に存在してはならないと記載されていることは当事者間に争いがないが、該リン酸塩の添加時期について、具体的には、「処理はα-FeOOH粒子の水分散液を調製し、α-FeOOH粒子の被覆を形成するはずである物質の比較的濃縮した水溶液を強力な攪拌下に該分散液に導入し」(第2欄第6行ないし第10行)、「通常の方法例えば上記した方法で形成されるFeOOH粒子の溶液を生成し、可溶性不純物を除去すべく洗浄し、例えばリンもしくは硼素のオキシ酸又は該酸の塩のような耐加水分解性無機物質を好ましくは厳しい攪拌下にこのようにして調製された分散液中に導入することにより」(第2欄第49行ないし第55行)、「顔料被覆を形成するためには、α-FeOOH粒子を水中に分散し、少量の水に溶けている被覆形成物質を所望量厳しい攪拌下にゆつくりと該分散液に導入する」(第3欄第24行ないし第28行)と記載されているのみであり、また、実施例はすべて湿式反応で形成させた針状のα-FeOOH粒子を濾過により反応母液から分離し、そのフイルターケーキを水に分散し、この分散液にリン酸塩を添加するものであることが認められる。

第1引用例中のリン酸塩の添加時期についての右具体的な記載、及び前述のとおり第1引用例には湿式反応過程ですでに生じている含水酸化第2鉄粒子のからみ合いをほぐし1個1個バラバラの状態にすることを目的とする旨の記載は全くないことを総合すると、第1引用例中に、リン酸塩は、含水酸化第2鉄のいろいろな処理段階で添加できる等当事者間に争いのない前記記載があるからといつて、第1引用例には含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加することが開示されているということはできない。

被告は、先行出願技術を援用して、含水酸化第2鉄粒子の表面を何らかの物質で被覆する場合、反応母液中に該物質を添加することは、本願発明の特許出願当時の技術水準であつた旨主張する。

成立に争いのない乙第1号証によれば、先行出願技術は、シリカ(SiO2)を含有させて含水酸化第2鉄粒子の加熱還元時における焼結又は凝結を防止する方法に係り、右先行出願公報には、第1鉄塩とアルカリとを湿式反応させ含水酸化第2鉄を生成させる際における、水酸化鉄(Ⅱ)が酸化されて含水酸化第2鉄粒子に完全に転換する前の時点、すなわち好ましくは少なくとも50%、特に有利には80%の水酸化鉄(Ⅱ)が含水酸化第2鉄になつた時点にシリカを反応母液中に添加し、この添加は酸化が完了するまで徐々に又は一度に行うことが記載されていると認められ、右認定事実によれば、先行出願技術は、反応母液中にシリカを添加するものであつても、含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了する前に添加するものであるから、これをもつて、本願発明における含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中に添加することが、本願発明の特許出願時の技術水準であつたとすることはできず、ほかに被告の前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがつて、本願発明と第1引用例記載の発明とは、リン酸塩添加の目的を共通にするものではなく、また、第1引用例は、含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加することを直接開示するものでないことはもちろん、右反応母液中にリン酸塩を添加することが本願発明の特許出願当時の技術水準からみて第1引用例において示唆されている範囲内のものとすることもできないから、「本願発明のリン酸塩の添加時期は、第1引用例において示唆されている範囲内で、同じ目的を達成するために決定した程度のものであるから、当業者が実験により適宜決定できるものと認められる」とした審決の判断は誤りというべきである。

(4)  以上の認定事実から明らかなように、本願発明は、第1鉄塩とアルカリとの湿式反応により含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加し攪拌混合することによつて、含水酸化第2鉄粒子の生成過程ですでに生じている粒子相互のからみ合いをほぐしバラバラの状態にするという第1引用例記載の発明から予測することのできない作用効果を奏するものであるが、更に、本願発明の方法によつて製造された針状晶マグネタイト粒子又はコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を磁気記録媒体として使用する場合における作用効果について検討すると、成立に争いのない甲第7号証の1ないし3、及び甲第10号証によれば、本願発明の要旨(1)の方法を採用した場合と、第1引用例に具体的に開示されている方法、すなわち反応母液を水洗、濾過して含水酸化第2鉄粒子のフイルターケーキをつくり、これを水に分散し、その分散液にリン酸塩を添加する手段を採用した場合とでは、針状晶マグネタイト粒子、これにコバルト被着したコバルト変成針状晶マグネタイト粒子及びこのコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を塗料に混入して形成した磁気塗膜のいずれについても、磁気特性が前者の方が後者より優れていること、コバルト変成針状晶マグネタイト粒子が磁気記録媒体に使用されたときに問題とされる磁気塗膜の保磁力及び角型比は、前者がそれぞれ685HC(oe)及び0.88であり、後者がそれぞれ660HC(oe)及び0.76(追加実験値645HC(oe)及び0.76)であることが認められる。本願発明についての右実験は、本願発明の要旨(1)の方法についてのみなされたものであるが、同要旨(2)の方法は、要旨(1)によつて得られたコバルト変成針状晶マグネタイト粒子を酸化してコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子としたものにすぎないから、本願発明の要旨(1)の方法と要旨(2)の方法との間でその奏する作用効果に差異があるとは認められない。そして、成立に争いのない甲第12号証及び甲第13号証ならびに本件口頭弁論の全趣旨によれば、角型比は、Bm(磁気塗膜の飽和磁化又は最大残留磁化)に対するBr(残留磁化)の比をいい、その値が1に近いほど磁気塗膜中の粒子の配向性が良く、優れた磁気特性を示すものと認められるところ、本願発明の要旨(1)の方法における角型比が右認定のように高い数値を示していることは、本願発明が特に角型比の向上において格別顕著な作用効果を奏するものというべきである。

被告は、比較実験成績書(甲第7号証の1、2)に記載された処理条件は、両発明の(イ) リン酸塩の添加量及び(ロ) 含水酸化第2鉄粒子の収量が相違している旨主張するが、(イ)については、前掲甲第7号証の3によれば、両発明の実験方法とも添加量は11.62gであつて、後者の数量を5.81gとしたのは単なる誤記であると認められ、また、(ロ)については、前掲甲第3号証及び甲第7号証の2によれば、第1引用例記載の発明の実験方法においては、第1引用例の実施例1に基づき濾過を2回行つていることが認められ、被告主張の程度の収量差が生じてもこれをもつて直ちに実験操作上異なつた処理条件を適用したものとは認められない。

また、被告は、前記比較実験成績書(甲第7号証の1、2)における本願発明の方法と追加実験成績書(甲第10号証)における第1引用例記載の発明の方法とでは、コバルト変成率に差があるから、磁気特性についての実験データは比較評価できないとし、また、本願発明の明細書に記載された実施例17ないし19及び20、21を援用して、コバルト変成率の実験結果はその数値に差がでないものであるのに、前記各実験結果におけるコバルト変成率に小数点以下1桁で差があることから、この追加実験結果は総体的に信用できない旨主張する。前掲甲第7号証の1、2及び甲第10号証によれば、コバルト変成率について、前記比較実験成績書(甲第7号証の1、2)に記載された本願発明のそれは2.6原子%であるのに対し、前記追加実験成績書(甲第10号証)に記載された第1引用例記載の発明のそれは2.5原子%であつて、両者の間に0.1原子%の差があることが認められるが、この程度の差は許容される実験誤差の範囲内というべきであり、また、この0.1原子%の差が磁気特性に格別の影響を及ぼすものと認むべき証拠もないから、両成績書を資料にして両発明により製造されたものの磁気特性を比較評価することができないものとは考えられない。また、前掲甲第14号証によれば、本願発明の明細書に記載された実施例17ないし19のコバルト変成率を被告主張のとおり小数点以下2桁で四捨五入すると、実施例17は1.7原子%、18及び19は1.6原子%となつて小数点以下1桁で0.1原子%の差があることが認められるから、本願発明の実施例においては、コバルト変成率の数値に差が出ていないという被告の主張は誤りがあるのみならず、前掲甲第7号証の1、2及び第10号証によれば、第1引用例記載の発明に関する追加実験と前記比較実験成績書に記載された同発明に関する実験とで、コバルト変成率の数値に被告主張のような差が存することが認められるが、この程度の差は許容される実験誤差の範囲内であり、このことをもつて、追加実験結果を総体的に信用できないとはいえない。

更に、被告は、前記各実験結果を検討しても、(イ) 写真の対比により両発明の個々の粒子の独立分散性に格別差異があるといえない、(ロ) 角型比については、磁気塗料中の磁性粉末の分散性は、塗料作製後にも変化を生じるから、前記実験結果をもつて、マグネタイト粒子又はマグヘマイト粒子そのものの分散性を直接に評価することはできない、(ハ) γ―マグヘマイト粒子の保磁力からみると、本願発明は、第1引用例記載の発明より独立分散性において格別優れているものとはいえない旨主張する。しかしながら、前掲甲第7号証の1、2及び甲第10号証によれば、前記比較実験成績書及び追加実験成績書に添付された写真を対比しても、直ちに本願発明の要旨(1)と第1引用例記載の発明との個々の粒子の独立分散性に格別差異があると認めることはできないが、写真を除いて前記各実験成績書に記載された実験結果に基づき両発明を比較検討することにより、両発明の間に磁気特性、磁気塗膜の保磁力及び角型比に差異が認められることは前述のとおりであり、また、角型比については、前記各実験成績書に記載された実験においては、本願発明の要旨(1)の方法及び第1引用例記載の発明の方法は、共に同じ組成の原料塗料を用い同じ状態で磁性塗料を製造し、基材に塗布して磁気塗膜を形成しているものと認められるから、右比較実験の実験データに基づいて、両発明の方法によつて得られるコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子の分散性を比較評価することに支障はないというべきである。また、保磁力については、前掲甲第7号証の1、2及び甲第10号証によれば、本件では、γ―マグヘマイト粒子は実験の対象となつていないから、被告の主張はその前提を欠くものであるが、これに対応すると認められるマグネタイト粒子についてみると、右甲号各証によれば、本願発明が470HC(oe)であるのに対し、第1引用例記載の発明では430HC(oe)(追加実験値438HC(oe))であることが認められ、これによれば本願発明の方が保磁力においても優れており、被告の右主張は理由がない。

したがつて、本願発明の方法によつて製造された針状晶マグヘマイト粒子又はコバルト変成針状晶マグヘマイト粒子を磁気記録媒体として使用することにより、磁気特性、磁気塗膜の保磁力及び角型比において第1引用例記載の発明の方法によるものに比して優れたものを得ることができ、殊に角型比の向上において第1引用例記載の発明から予測することのできない格別顕著な作用効果を奏するものということができるから、審決は、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過したものというべきである。

(5)  以上のとおりであるから、審決は、本願発明と第1引用例記載の発明との相違点(1)リン酸塩の添加時期について判断するに当たり、本願発明と第1引用例記載の発明とは、リン酸塩添加の目的を共通にするものでなく、また、含水酸化第2鉄粒子の生成反応が完了した反応母液中にリン酸塩を添加することは第1引用例において示唆されている範囲内のものといえない点についての判断を誤り、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した結果、本願発明は第1引用例及び第2引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとしたものであり、右誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、審決は違法として取消されるべきである。

3  よつて、審決の違法を理由としてその取消を求める原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(蕪山嚴 竹田稔 塩月秀平)

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